横須賀に行ってきた。
今日は戦艦三笠の話でも。
今日は三笠公園を少しだけしたいと思う。
(出典:Wikipedia)
三笠公園とは、日露戦争(1904年)で連合艦隊旗艦を務め、勝利を収めた戦艦を保存・展示している公園である。
廃艦になる予定だったが、日本にとっての英雄艦でもあるため、国民からの保存運動が起こり、二度と使えないように固定され、保存されることになった。
(出典:Wikipedia)
日露戦争終結直後、ウラジオストクで座礁(1921年)したり、関東大震災(1923年)で岸壁に衝突して大破したりしたが、1921年のワシントンの軍縮会議で廃艦の対象となっていたため、1923年に除籍された。
(出典:Wikipedia)
1945年8月に日本が敗戦し、連合軍が日本の占領政策を進めた際、ソ連(当時)の代表は三笠を解体するように要求してきた。
それはそうだろう。ソ連にとって日露戦争は黒歴史みたいなものだろうから。
アメリカはソ連と日本の両国の意見を聞き、策として三笠の艦橋・大砲・煙突・マストなど撤去することを条件とし、三笠の保存を許可した。
保存に至るまでのなかなか興味深い話がある。
日本海海戦に戦勝した祝賀会をする際、後の第二次世界大戦中のアメリカ太平洋艦隊司令長官になる「チェスター・ニミッツ」が招待されたそうだ。祝賀会で他の候補生と東郷を胴上げした後、テーブルに招いて東郷と会話し、感銘を受けたと自伝に記しているそうだ。
(出典: 記念艦「三笠」)
第二次大戦後、三笠が荒れ果ててダンスホールに使われている事をニミッツが知ると激怒し、海兵隊を歩哨に立たせて荒廃が進む事を阻止し、復興に貢献した。また、保存費用として個人的に寄付した他、アメリカ海軍の揚陸艦の廃艦一隻を日本に寄付させ、そのスクラップの廃材代を充てさせたという話がある。三笠は1961年に復元が完了した。
また、1948年には極東委員会で、ソ連は三笠の解体を要求してきたが、愛国主義者だったアメリカ陸軍のチャールズ・ウィロビー少将が「日本の記念物を破壊して日本人の反感を買うのは避けるべきだ」と反論して阻止したという話も残っている。
ニミッツとウィロビーにより、三笠はこうして現存しているといっても過言ではない。
実は、ウィロビーの逸話はニミッツのより先だが、あまり知られていない。
今日の写真などは後日公開の記事にて。⇩(2015.3.20更新)